私は公園に行きました。

 目的もなにもありません。ただ、私は公園に行きました。公園に足を踏み入れたときにはもう既にその男の人にはいました。にこにこ微笑みながら男の人は一人で砂いじりに夢中になっていました。その周りには子供たちが砂場で使おうとしたのでしょう道具を手に持ちながら砂場を指差していて、それを母親と思わしき人物に止められていました。近寄ってはいけないと、言われているようでした。
 私は天邪鬼なようで、遊んではいけないと言われた場所で、無性に遊んでみたくなってしまいました。砂場から入ってきた私を男の人は見上げました。私は何となく、砂場に転がりました。ごろごろごろ、と転がりました。いよいよ公園には人がいなくなりつつありました。
 だあれ? と舌足らずな声で男の人が聞いたので、私は秘密さんです。と自分の名前を明かしました。さん付けしたのは私の名前は変わっているようで、そうしなければ名前としてうまく伝わらないことが多いからです。男の人は、じゃあひーちゃんだ、と嬉しそうに笑いました。物分りのよさが意外でした。

 私は男の人に砂をかけました。理由はありません。奇抜な色の服が、泥に汚されていきます。男の人は大げさなくらいおののいて、途端に泣き出しそうになりました。なんてもろい人なのでしょうと思いました。思っただけです。
 一緒にお城を作りましょう。私の提案に、男の人はさっきの表情をぽいと投げ捨ててまた笑顔になります。日は落ちかけていますが私は気にしないで、砂のお城を作り始めました。後から思うに、男の人に意地悪をしてしまったことにたいする罪滅ぼしのつもりといえたかもしれません。しかし結局、たいした意味はありません。とにかくお城が作りたいと思ったのです。
 完全な暗闇へ移行し始めると、でこぼこでお城というより大きな山にしか思えなかった砂の城が暗く染まって、本当に夜の城に見えました。もっともっと大きくしようと、私が夢中になっていると、明かりはなにもないのに影のかかる気配がしました。私は気にしませんでしたが、呼んだ声がセトくんだったので振り向きます。

 何やってんの? と聞かれたので、城を作っていたと答えました。このお城より大きなところから見下ろしているセトくんには、この城はでこぼこすぎる山にしか見えないのでしょう。セトくんは釈然としない表情でお茶を濁すようなことを言いました。
 その人、だれ? 男の人に視線をやるその目、そして声は少々怯えているみたいでした。セトくんは男の人を指差しているので、人を指差してはいけないことを彼にまず教えます。そして、男の人のことをセトくんに教えてあげようとしました。無邪気な幼子のように砂のお城のでこぼこを増やしていくこの人をたっぷりと眺めて、私は始めてこの男の人のことを全く知らないことに気づきました。仕方がありません。あまり興味がなかったのですから。
 ……知らない人なの? セトくんの問いに、私は大きく頷きます。




 もうそれ以上考えても無駄だと思ったので、私はまたお城作りを再開しました。ひーちゃん、これ、いつできるの? 男の人が訊きましたが、流しました。分かりません。そんなこと。
 ふいに音が聞こえて、私はちらりとセトくんを盗み見ました。セトくんは、ごくまれにそうするように、歯を痛そうなほど噛みしめて、男の人が口すさむ鼻歌だけが、さまようように流れ出していました。私は、いざという時には何とかしなければという決意をしながら、砂の城作りに熱中しているように振舞いました。セトくんは私から見てもすぐわかるほど怒っていました。セトくんが怒る理由なんて私にはわかりません。嘘です。わかります。理由などまったくないってわかっています。

 くるりと身体を反転させてセトくんが私たちとは逆方向に歩き出しました。そのとき私は見送りました。やがてすぐに帰ってきました。手には木の枝なのか角材なのか分からないものを持って。それを振り上げ振り下ろす前に動くべきだと思ったので、私はそうします。セトくんの腕をつかみ、私は帰りましょう。セトくんは聞いていません。なおも前へと進もうとし、私を振り払おうとすらしています。帰りましょう。帰らなくてはいけません。だってこんなにも暗いじゃないですか。すがるように言いました。今まで気にも留めなかったこの暗がりが、今は言い訳になります。
帰るの? と首をかしげたのは、セトくんではなく先ほどまで砂遊びに熱中していた男の人でした。ええ、帰ります。私はそれだけ言って、男の人の頭を割りたがるセトくんの手を引きながら砂場を離れていきました。私の手は汚れていて、泥だらけなのでじゃりじゃりします。

 ふと背後から、また、あそぼうね。と声を投げられました。
 後ろを向くと立ち上がれば大きな砂の城よりも大きい、男の人が手を振っています。ここから眺めると彼は真っ黒で、隣の城も黒く、影の城の王様に見えました。私は手を振り返そうとしましたがやめておきました。












 なんであの男の人に名前を名乗ったりしたの。セトくんが聞きます。私は正直に、訊ねられたからです。とそれ以上の深い意味がないことを主張してみました。実際ありません。
 あいつ、ミツのことをひーちゃんって呼んでいたよ。なにも本名を教えることないだろう。ミツは、ひーちゃんじゃなくてミツなんだから。セトくんはもう怒っていませんでしたが、すねているふりをします。機嫌が直るまでのタイムラグを意図的に演じているのです。
 私、ミツと名乗りたくなかったんです。と言えば、セトくんは怪訝な顔になりました。ミツと呼んでいいのは、セトくんだけです。セトくん以外にミツと呼ばれるくらいならひーちゃんか秘密さんと呼ばれたほうが、ずっとずっとましだったのです。だって私は、セトくんだけが大好きなのですから。
 セトくんは、私の嘘を黙って見抜いて、本当に、本当に物凄く嬉しくなさそうに、ありがとうと言いました。





(その後の砂のお城について)