夜道という名の男が海に身をなげて、なきがらとして帰ってきてからのはなしだ。


 かつて命の半分だと信じてやまなかったその存在を喪ったわたしは、まず周りの人たちにやんわりとしばりつけられ、拘束された。もちろんそれは言葉のあやである。誰もわたしの身体に縄をかけて、縛りあげたりはしなかった。しかし暫くわたしのまわりには絶えず人が集まり、輪をかこんでわたしを閉じ込めていった。わたしが、夜道のあとを追うのではないかと危惧したのだ。わたしですら、わたしは夜道が亡くなったならわたしもあとを追うと思っていた。わたしはわたしがなぜ今までこうして息をしていられるのかが不思議でならない。
 わたしは夜道に依存し、ひとつの身体を彼と共有してもかまわないと、溺れきっていたけれど。わたしは彼が本当に危うい時期をこえてその身を滅ぼしたとき、すぐに見捨てることができるくらい突き放すことができるひとなのだ。彼をあやめた海は今は静まり返り、宝石のように深い青をだいて揺れている。わたしはこの海と同じくらい、冷たい。わたしは海にのまれて沈んでいった彼の手に、みずからの手を伸ばしすらしない冷たさをもっている。そんなわたしをわたしがつよく責めて、そして許していく。











 誰か。誰でもいい。正しいと言って。わたしがこうして、生きていることを、正しいことだと言って下さい。わたしを毎日、夜道が責めるの。嘘つき、噓つきって、泣きそうな声をしている。夜道の顔をしたわたしが、怒りにふるえて泣きつづけている。裏切り者、裏切り者。泣けない身体になってしまったわたしの代わりに涙を使っている。誰か、わたしがこうして呼吸して、あの海を見つめていることを、お願いだから正しいことだって言って。誰かの声がほしい。誰かの声がほしい。わたしじゃない声で、夜道でもない声で、わたしが生きていてもいいのだと、誰か、ゆるして。わたしすら許してはくれない何かを。













傷口に海がしみる。







( わかってる。私をじくじく蝕んでいくのは、海ではなくてあなたの涙だ )